米山稔 死去の詳細!ヨネックス創業者、95歳の大往生!ネットは?

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スポーツ用品メーカー・ヨネックスの創業者の米山稔(よねやま・みのる)さんが11日、老衰のため新潟県長岡市内の病院で死去しました。

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米山稔 死去、内容

スポーツ用品メーカー・ヨネックスの創業者の米山稔(よねやま・みのる)さんが11日、老衰のため新潟県長岡市内の病院で死去しました。

95歳だったという。

葬儀は近親者で営まれており、お別れの会を後日開く予定という。

 同県越路町(現・長岡市)出身。

1946年に漁業用木製ウキの製造販売を始め、1957年からバドミントンのラケット製造に参入。

1982年に現社名に変更し、1990年に本社を東京に移転した。

 この間にテニスやゴルフ用品にも進出。

女子テニスのナブラチロワ、伊達公子らに用具を提供するなど、同社を世界的メーカーに育てた。

現在も大坂なおみ、バドミントンの桃田賢斗ら多くのトッププロと契約している。

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米山稔 死去、ネットの声

会長は、人間魚雷で特攻する寸前で終戦になった。
裸一つで苦難を乗り越えて、スポーツメーカーを育てたのは賞賛に値するが、会長の素晴らしい所は、生産拠点を国内に留めた点だ。
会長は戦後も彼なりの戦いをずっと続けていた。
経団連の生産拠点を海外に移して、国内の労働者を減らして、戦争で一発当てたろ、という奴らとは違っていた。
近年までハード・スケジュールをこなしていた会長、どうぞやすらかに。
ご冥福をお祈りいたします。

新潟の田舎で創業して 一代で バドミントンで
世界一になった事は 凄いですね。
ユーザーや社員の事を一番に考えて
製品作りを進めて来た 今では少なくなって来た
人ではないでしょうか
ご冥福をお祈りします。

ヨネックスといえばラケット。 それに始まるカーボン。
最近では、自転車でもかなりのものを出しておられますね。
凄い業績を上げられた方だと思います。
95歳の大往生、心からご冥福をお祈りします。

デザインやロゴよりも、ウェアは夏は涼しさを、冬は暖かさをしっかりと保温できるように。
靴のクッション性にこだわったり、ナノカーボンチューブを導入するとか、サイエンスの最先端をどん欲に取り入れる、挑戦する企業というイメージが強い。
こういう企業姿勢は10年後に、スポーツ産業の勢力図を大きく変えると思う。残された社員の方々は更なる研鑽をして頂きたい。

派遣会社で働いてる人が営業廻りで色んな会社を訪問するけどYONEXは本当に社内の雰囲気が活気があって自分も働きたいくらいだと言っていました。私も寮くんが契約してたときゴルフウェアの販売を手伝ったことありますが働く人への待遇もいいし、何よりお客さんの声を真摯に受け止め、次の商品作りに生かしている社風に感動しました。「こういった商品を作ってほしいという声があった」というレポート(日報)をあげると必ず上からレスポンスがくるのが凄かった。

自分も選手でもないバド用のシャツで夏場は涼しく過ごさせていただきました。ナイキやデサントとかの大企業に負けず、よいデザイナーに恵まれましたね。お疲れ様でした

中・高と部活でバドミントンやっていました。自分が始めた頃は、まだYONEYAMAって書かれたラケットケース見かけたなぁ。若い人達は知らないと思いますが。

ブルーは空から、グリーンは大地からもらった
ってキャッチコピーでCM流れてた記憶があります。

地方の工場から、一代で世界的なメーカーに成長させた功績は偉大なもの。

心よりご冥福をお祈りします。

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米山稔 死去 、終わりに

とても寂しいニュースですが、95歳まで現役を貫いてきたというと、素晴らしい大往生ですね!

お疲れ様でした。

やすらかにお眠り下さい。

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