プロ野球阪神で日本通算100勝を挙げ、外国人選手として初めて沢村賞を獲得したジーン・バッキーさん(82)が14日(日本時間15日未明)、死去したことが明らかとなった。
家族によると、米ルイジアナ州ラファイエット市内のホスピスで息を引き取ったという。
元阪神・バッキー 死去、概要
バッキーさんは2018年春、検査で膀胱がんが見つかり、手術。
まもなく、母校(ルイジアナ州立大ラファイエット校)の大学の試合を観戦するまでに回復しました。
しかし、今月10日、右総腸骨動脈の動脈瘤の手術を受け、それは成功したものの、術後に合併症から脳卒中を併発。
13日にホスピスへ入所したとのことでした。
バッキーさんは1937年8月12日生まれ、
米ルイジアナ州出身。
サウスウエスタン・ルイジアナ大からマイナーリーグを経て1962年8月に阪神にテスト入団。
上手、横手からの変幻自在な投法とナックルボールを武器に、
1964年に29勝9敗、防御率1・89で最多勝、最優秀防御率を獲得、
外国人選手初の沢村賞を受賞。
チームを優勝に導いた。
1965年6月28日の巨人戦ではノーヒットノーランを記録。
1969年に近鉄に移籍し、同年引退。
通算8年で251試合登板、100勝80敗、防御率2・34。
今月13日に引退を発表した阪神のランディ・メッセンジャー投手はNPB通算98勝。通算100勝のバッキーの記録を目標としており、交流があったという。
元阪神・バッキー 死去、動画
こちらは、バッキーさんの生前の動画になります。
元阪神・バッキー 死去、ネットの声

バッキーは甲子園のマウンドに
もう一度立ちたいと願ってた
それがランディとならどんなに幸せだったか
球団にお願いしたい
バッキーをもう一度甲子園のマウンドに
迎えて欲しい

メッセが引退発表した後ってところにも、繋がりを感じざるを得ない。
ゆっくりお休みになってください。

阪神での功績が大きい。故人も望んでいたみたいだけどメッセンジャーに記録越えて欲しかった。

このタイミングで‥。
まるでメッセが引退発表を聞いて安心したようにも感じます。
謹んでお悔やみ申し上げます。
安らかに‥バッキー。

メッセが引退を決断してすぐにバッキーが亡くなったのは、バッキーはメッセの引退を見届けたかったんだろうな。

メッセとの縁を感じさせるタイミングですね。
ご冥福をお祈り致します。

このタイミングで亡くなられるとは…
メッセンジャーの頑張りで、改めてバッキーさんの記録が偉大だと分かりました。
ご冥福をお祈りします。

阪神タイガースの偉大なる選手が、旅立たれました。お悔やみ申し上げます。
元阪神・バッキー 死去、 終わりに
バッキーさん、偉大な人がまた一人お亡くなりになってしまいました。
メッセンジャー選手との関係も、ネットで話題となっており、引退を聞いて安心して旅立っていかれたのでしょうか?
ご冥福をお祈り致します。
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