佐藤茂富 死去、北海道の名監督にネットの反応は?

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スポーツ

監督として春夏合わせて6度甲子園に出場した佐藤茂富さん(さとう・しげとみ)が19日に死去していたことが23日、分かった。

79歳だったという。

強力打線を築き、公立校の砂川北と鵡川を3度ずつ聖地に導いた。

葬儀は既に近親者のみで執り行い、教え子有志が11月2日にお別れの会を開くという。

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佐藤茂富 死去、概要

北海道内高校野球界に大きな影響を与えた名物監督が亡くなった。

12年夏に鵡川の監督を勇退後、札幌市内で暮らしていた佐藤さんは今月8日に体調を崩して札幌市内の病院に入院。

腸管感染症のため、19日に息を引き取った。

 野球一筋の人生だった。

三笠市に生まれ岩見沢東に進学後、道学芸大(現道教育大)を経て栗山に赴任すると同時に指導者人生をスタートさせた。

1971年に砂川北に異動し、1984年春と1992、1994年の夏の甲子園出場を果たした。

 函館有斗(現函館大有斗)の辞退によって出場した1984年春は桑田真澄と清原和博を擁するPL学園と対戦。

序盤に大量失点したが、7―18と意地を見せて話題になった。

1994年夏には2回戦で北海と史上唯一の道勢対決となり「2時間の兄弟けんかをしようじゃないか」と互いの健闘を誓った。

砂川北は敗戦したが、試合後に両校の選手が宿舎で仲良く風呂に入ったというエピソードが残っている。

 体罰による1年間の指導禁止処分を受け、1997年に56歳で鵡川に異動になっても諦めなかった。

自費で室内練習場を建設するなど情熱を注ぎ、人数ギリギリの弱小校を2002年のセンバツに導いた。

北海道から初の21世紀枠での出場だった。

2004、2009年春にも出場した。

 「元気、本気、一気」を部訓とし、全力疾走とフェアプレー精神を追求。

西島貴之選手(ダイエー)や池田剛基選手(日本ハム)ら4人のプロ選手を育てた。

教え子でお別れの会の代表を務める石狩南・高草木穣監督(51)は「常に相手を尊敬して戦う姿勢はまさに高校野球の精神そのもの。時代が変わっても色あせないし、なくしてはいけないもの」としのんだ。

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佐藤茂富 死去、ネットの声

初めて甲子園に出場した選抜で桑田、清原を擁するPLと対戦し、エース桑田は最後まで打者として出場し、清原には今までで一番打ち易い投手だったとか好き放題言われ…確か当時の一試合本塁打記録を作られた中で控え投手を打ち込んで意地を見せた。序盤に点差が開いた中でもスクイズして1点を取りに行く自分達の野球を実践し、最後まで堂々と戦った姿が印象的だった。

鵡川高校では選抜に出場する前の秋の明治神宮大会で破った済美高校が選抜で優勝し、選手達が俺達だってヤレる!とその気になった。そしてその夏…鵡川高校と同じ苫小牧ブロックから駒大苫小牧が南北海道を勝ち上がり、甲子園の決勝で済美を倒し遂に全国制覇を達成した。

北海道の高校野球に多大な貢献をされた偉大な方、ありがとうございました。

あの時はまだ1回戦勝ち上がり組は抽選で対戦相手が決まるシステムで、そのクジのいたずらで道勢対決が実現。砂川北が負けて北海道に帰る日に、見送りに来た北海の選手達を激励していたシーンを思い出した。

桑田清原がいたPLとの試合が忘れられない。18対1の一方的展開で砂北のアルプス席がしょんぼりしきった状態から、終盤6点取ってムードは一転。「これが道産子の意地だ!」との声がアルプスにあがった時は本当に嬉しくなった。

その頃の北海道代表はなかなか勝てない時代が続き、組み合わせ抽選会で当たった相手は喜んで歓声を上げてたもんだ。アルプスの応援も100人くらいが真ん中にちょこんと座ってるだけだった時代。

佐藤先生の時代から北海道勢が次第に勝てる、勝てないまでもいい試合をする様になった。間違いなく今の北海道の高校野球を強くした大貢献者のお一人。

101回目の夏の甲子園の最中に旅立たれたんですね。マスコミに煽られるがままに球児の気持ちを置き去りにした議論が過熱する今の高校野球をどのようにご覧になっていただろう?佐藤先生を悼みます。

小学生の時3年ほどだけ南高の近くで道民やらせてもらいました。道内では有名なほうでもまさか甲子園に行けるとは。桑田清原のPLに潔くやられたときは、東海大山形戦がなければ伝説になってたかな。もう今は合併で北高も南高もないけれど、あのころ砂川の名をきけて嬉しかった。さらに後に鵡川に行ってからまた甲子園に出たのがこれまたすごい。名将にただただ感謝です。

一般入学生は入れないスカウト部員だけの野球部を率いての全国制覇。エリートを束ねる難しさもあるだろうが、頭数をそろえるところから初めて甲子園へ。

その道のりの難しさは、エリート校をしのぐものがあると思います。
佐藤先生お疲れさまでした。ありがとうございました。

北海道ではこの人も名監督だったな。田舎のただの高校だった鵡川を甲子園レベルにまで作り上げた手腕はホンモノ。道内の高校球界史には香田監督、佐藤監督は歴史に残る。

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